肝硬変・母の闘病記録

肝硬変末期の記録です。

最後のお好み焼きとこの1週間。

意志の疎通が取れなくなる前の記録。

 

7月28日(土)

果物を持って行った時に、

母「焼きそばか、お好み焼きが食べたい」
私「え?? 焼きそばとお好み焼きかぁ・・。探してくるね」

先にわかっていれば家で作ってきたけどな~。
病院のコンビニで焼きそばを発見。購入。

 

少し味が濃そうで心配だけど、

減塩生活に飽きているせいか、
喜んで4口くらい食べた。

(妹に連絡したラインの日付からさかのぼって書いている。)

 

この日はまだ、簡単なリハビリにも行っていた。

(病院内を車いすでまわって、多少歩いたりするみたい)

リハビリの先生?愛嬌のよい女の子は

いつも母に対して、優しく 楽しく 接してくれてて嬉しかった。

 

焼きそばを食べて満足したら、眠気が襲ってきたみたいで、

眼がシバシバし始めた。

 

私「あ~眠いんやね~、私がおると落ち着かんね。帰るでゆっくり寝てね」

母「ごめんね~。ありがとうね・・ZZZ」

 


8月4日(土)
次に行ったときは冷やしきしめんを持って面会に。
麺を細かくカットして、病院でつゆを注ぐ。

 

子供の様に真剣に食べた後、にっこり笑って、

母「サイコー」
私「サイコー?(笑) 良かった、良かった」

 

この日も確か、リハビリと言う名の車いす散歩はあったはず。

退院に向けて。

 

私は病院でゆっくり過ごす。

アイパットを持ち込んで。

 

きしめんとメロンを食べ終わったあと、

 

私「適当に帰るから、気にせず寝てね~」

母「ごめんけど、寝さしてもらうわ」

  頃合いをみて帰宅。

 

この時看護師さんと話す機会があり、

腹水について聞いてみる。

腹水はあるが以前ほどではない。

→末期だから限界がある、っていうニュアンスだった。

 

 8月6日(月)

ケアプランナーさん、看護師さんとの面談で、

今後の在宅看護に向けての話合いがあった。

受け入れ先の病院など確認。

父と妹と3人で参加した。

 

話し合いの後、病室へ。

その時はまだ話せたなぁ・・。



父は果物好きな母の為に毎日差し入れしてたみたい。
氷も常備して。

 

8月7日(水)11時

次にお世話になる先生と看護師さんが

母の状態を見に病院へ。(さすがに立ち会えず。)

父からの話だと先生の表情が厳しかったそう。

 

8月9日(木)

午後から栄養士さんとの打ち合わせ。

自宅での注意事項など話し合い、→顔を見て帰る。

(食事作りは手伝いたかった)

 

8月10日(金)

→ケアマネージャーさんより入電。

13日(月)9時に退院決定。

在宅看護の先生が直接会いたいとの事、10時に実家でお会いする約束に。

 

 11日(土)

12日の来客予定(お墓参り)掃除・買い出しの為、病院に行けなかった。

退院するっていうのが頭にあったから油断した。

この日に行っていれば話せた・・。

 

12日(日)夕方。
退院予定前日。
父が差し入れしたのはお好み焼きだった。
まだ、会話は出来ていたそう。

2口程、美味しい、美味しいって食べたらしい。

 

 食べ終わり、

その後オムツ替え

良いうんちだったらしい。

 

その時、 血便が確認され、退院が延期になった。

血便といえども、翌日からこんな状態になるとは・・。

その場にいた父も予想できず。

 

自宅に戻る前に発覚してよかったと思う。

何度も書くけど‥昏睡は予想外だった。

 

 

 

今はまだ冷静に記録が出来る。

 

お母さん、もう少し頑張って‥ね。