肝硬変・母の闘病記録

肝硬変末期の記録です。

8月17日 少し話せた!

 病院に行ってくれた妹からラインがきた。

 (昨日から私は仕事)

 

妹「看護師さん、針が刺せなくて困ってた。

  お母さんは痛がる様子があったから、

  感じてるみたい。

  また来るね、って言ったら反応があったよ。

  ちょっと良くなっているのかな」

 

2日間も昏睡状態で、ちょっと信じられなかったけど・・。

 今日は少ししゃべったとの事。

 聞き取りにくいけど、会話にはなったらしい。

 

 

それを聞いて、会社帰りに病室へ。

母は何日かぶりに目を開けていた。

 

    

私「○○子だよ、来たよ」

 

マスクで顔が隠れているから、つい名乗る

 

母「・・・」

 

いまいち反応なし。

妹だけに反応するのかな・・。

  

前、朦朧としていた時に私が席を外すと、

 

母「あの小さい人はどこに行った?」→ショック・・(苦笑)

 

私だとわからなくても、意識はありそうだからよかった。

 しばらく静かに座って見続ける。

点滴はまた打てなくなったみたいで、おとといより、しわしわに感じる。

胃に直接栄養を入れる処置をしてもらっていた。

鼻からチューブを入れている。(吐いたりしないか心配)

酸素も追加されてた。

 

 

私「痛いところはあるの?」

母「無いよ」

 

振戦の一種なのか、顔や眼は動き続けてる。

だから目を合わすことはなかなか難しい。

本人の意識ではどうすることも出来ないから仕方がない。

 

母の手を握ったり、足をさすったり、

「冷たいね~」とか言いながらスキンシップ。

 

動けないって本当につらいね。

 

 

あのまま昏睡して会えなくなるかも、って思ったから、

余計に今日の状態は嬉しかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  

 

 

最後のお好み焼きとこの1週間。

意志の疎通が取れなくなる前の記録。

 

7月28日(土)

果物を持って行った時に、

母「焼きそばか、お好み焼きが食べたい」
私「え?? 焼きそばとお好み焼きかぁ・・。探してくるね」

先にわかっていれば家で作ってきたけどな~。
病院のコンビニで焼きそばを発見。購入。

 

少し味が濃そうで心配だけど、

減塩生活に飽きているせいか、
喜んで4口くらい食べた。

(妹に連絡したラインの日付からさかのぼって書いている。)

 

この日はまだ、簡単なリハビリにも行っていた。

(病院内を車いすでまわって、多少歩いたりするみたい)

リハビリの先生?愛嬌のよい女の子は

いつも母に対して、優しく 楽しく 接してくれてて嬉しかった。

 

焼きそばを食べて満足したら、眠気が襲ってきたみたいで、

眼がシバシバし始めた。

 

私「あ~眠いんやね~、私がおると落ち着かんね。帰るでゆっくり寝てね」

母「ごめんね~。ありがとうね・・ZZZ」

 


8月4日(土)
次に行ったときは冷やしきしめんを持って面会に。
麺を細かくカットして、病院でつゆを注ぐ。

 

子供の様に真剣に食べた後、にっこり笑って、

母「サイコー」
私「サイコー?(笑) 良かった、良かった」

 

この日も確か、リハビリと言う名の車いす散歩はあったはず。

退院に向けて。

 

私は病院でゆっくり過ごす。

アイパットを持ち込んで。

 

きしめんとメロンを食べ終わったあと、

 

私「適当に帰るから、気にせず寝てね~」

母「ごめんけど、寝さしてもらうわ」

  頃合いをみて帰宅。

 

この時看護師さんと話す機会があり、

腹水について聞いてみる。

腹水はあるが以前ほどではない。

→末期だから限界がある、っていうニュアンスだった。

 

 8月6日(月)

ケアプランナーさん、看護師さんとの面談で、

今後の在宅看護に向けての話合いがあった。

受け入れ先の病院など確認。

父と妹と3人で参加した。

 

話し合いの後、病室へ。

その時はまだ話せたなぁ・・。



父は果物好きな母の為に毎日差し入れしてたみたい。
氷も常備して。

 

8月7日(水)11時

次にお世話になる先生と看護師さんが

母の状態を見に病院へ。(さすがに立ち会えず。)

父からの話だと先生の表情が厳しかったそう。

 

8月9日(木)

午後から栄養士さんとの打ち合わせ。

自宅での注意事項など話し合い、→顔を見て帰る。

(食事作りは手伝いたかった)

 

8月10日(金)

→ケアマネージャーさんより入電。

13日(月)9時に退院決定。

在宅看護の先生が直接会いたいとの事、10時に実家でお会いする約束に。

 

 11日(土)

12日の来客予定(お墓参り)掃除・買い出しの為、病院に行けなかった。

退院するっていうのが頭にあったから油断した。

この日に行っていれば話せた・・。

 

12日(日)夕方。
退院予定前日。
父が差し入れしたのはお好み焼きだった。
まだ、会話は出来ていたそう。

2口程、美味しい、美味しいって食べたらしい。

 

 食べ終わり、

その後オムツ替え

良いうんちだったらしい。

 

その時、 血便が確認され、退院が延期になった。

血便といえども、翌日からこんな状態になるとは・・。

その場にいた父も予想できず。

 

自宅に戻る前に発覚してよかったと思う。

何度も書くけど‥昏睡は予想外だった。

 

 

 

今はまだ冷静に記録が出来る。

 

お母さん、もう少し頑張って‥ね。

 

 

8月15日 やっぱり無反応・・。

今日も2時からの面会に行く。

 

もしかしたら話せるかも・・と。

アイコンタクトが出来るようになってるかも・・と期待して。

 

やっぱり昏睡状態だった。

いつもは閉められているカーテンが全開で、少しびっくり。(4人部屋)

意識のある患者さんのブースだけカーテンが閉めてある。

 

 

 

母のお世話は終わったみたいで、こざっぱりした感じ。

目の前の患者さんもどうやら寝たきりの方みたい。

 

他の方をお世話中の看護師さんが、

 

看「○○さんのご家族さんね。

  聞いてます? 

  今日は食事もとれなくなって点滴なんですよ・・

  今、CT撮ったりしてますからね・・」

 

私「昨日は取れてたんですか?(少しびっくり)

  意識はあるんでしょうか。」

 

看「昨日の夜までは 3分の1量(柔らかめ)は食べられてましたよ。

  受け答えは、出来ないですね。

  呼びかけには手を少し動かして返事してますよ。」

 

 

昨日までは

ベットの上半身部分に、嘔吐対策用の使い捨てシーツが敷かれていた。

今日は敷かれてない。

点滴のみになったからだ。

今まで看護師さんに食べさせてもらってたんだね。

 

点滴だけでなく、

酸素も鼻にセットしてあった。

 

看「酸素の方は安定してきているので、外しておきますね」

 

私「血圧とかは変化ないですか?」

 

看「あー、特に変化ないですよ。96ぐらいです。」

 

まだ大丈夫ね。ほっ。

 

血圧の変化はないけども、手は冷たいし、

今まで点滴の針を刺してあった右手はなぜかパンパンに腫れていた。

浮腫み?

左手はほっそり。

顔はまだ温かい。

 

子供のような顔。

苦しくはなさそう。

 

私が話しても特に動いた感じがしない。

途中、腕が冷たいね、ってさすった時に少し動いた。

これが母の反応かな?

 

 

 

 

 








8月14日 昏睡

午後から病院へ。

 

父が先に病室に来ていた。

やっぱり意志の疎通は出来てないらしい。

 

ひょっとして、今日は話せるようになっているかも、と期待したけど、

そんな展開にはならなかった。

 

 

昨日より昏睡が深くなっている気がする。

眼を開けない。

このままどんどん衰弱していくのかな。

痛みはなさそうにみえる。

苦しんだりしてたらつらいけど、

今のところは落ち着いてみえる。

 

意識がある時は、だるくてつらい、と言っていた。

今は感じてるのかな・・・。

 

感じてないといいけど。

 

 

 

父が帰った後、二人になった時、

初めて言葉にした。

 

「生んでくれてありがとう。育ててくれてありがとう」

 

頭をなでながら。

 

話が出来る時になんではっきり伝えなかったんだろう。

それこそ、死を意識しそうで言えなかった。

でも・・

感謝の言葉なんだから、早く伝えればよかった。

 

もちろん、母の日なんかにはありがとうって言ってたけど。

ちょっと違うよね。

 

母はいつも何かと「ありがとう」って言ってくれてた。

 

実家から帰る時、病院から帰る時、何か差し入れした時。

 

 

 

これから病室では必ず言おうと思う。

感謝の気持ち。

残された少ない時間で。 

 

 

 

 

 

 

8月13日 退院延期に・意志の疎通が出来なくなった。

夜、父から入電。

 

13日の退院時は訪問診察してくださる医師と、

ケアマネージャーさんと実家で10時に待ち合わせだった。

 

父の運転する車に一人で座っていられるか心配しつつ、

私は実家で待つ約束をしていた。(父の意向で)

 

てっきり、退院時に付き添いして欲しい、という電話かと思いきや、

 

父「便に血が混じっているから退院は延期になった」

私「・・わかった」

 

確かにあの状態で、自宅に戻っても心配だったので、

少し安堵の方が強かった。

 

11日は食べたがっていたお好み焼きも2口程食べたらしい。

便に混じっている血液も初めての事ではないから、そこまで心配してなかったけど・・・。

 

 

その後、13日に病院に行ったときは衝撃的だった。

 

昨日から意志の疎通が出来なくなったらしい。

こんなに一気に来るものなのか?

 

いつ何があってもおかしくない状態って言われてたから

不思議なことではないかも・・。

 

妹と父と三人で病室にいた時だった。

 

いきなり母が吐いた。

結構な量を。

びっくりした。

 

この状態でもお昼は何か食べさせてもらっていたみたい。

固形物も少しあった。

 

・・消化も出来なくなってきているのか。

 

カウントダウンが始まったのだろうか・・。

 

前から覚悟は出来ていたつもりだけど、やっぱりショック。

 

看護師さんに片付けてもらっている間もショックで動揺が隠せず・・。

(病室からは退出させられる)

もう一度戻り、家族4人で過ごす。

 

帰り際に妹が

「また来るでね」と行ったとき、

表情が変わった。

聞こえてる!!

びっくりした!良かった。

 

 

 

確実にその時が近づいて来ている。

私は何をすればいいんだろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

もうすぐ在宅へ。

ちょっと間が空いちゃいました。

 

自分自身の疲れがピークに達し、

毎日の病院通いを止めて無理のない範囲で通ってました。

 

最近やっと、在宅で診てもらえる病院が決まり、次へのステップに移ります。

 

これからがある意味正念場。

 

病院で出来ることがなくなり、自宅に戻る。

入院前より、確実に弱ってきている。

トイレも行けるのかな・・。

 

 

 

最初は夏まで持たないのではないか、と思っていたけど、

今は年内?って。

確実に看取りは近づいてきていると思う。

 

 

自分はフルタイムだから、手伝える範囲が少ない。

父に頼る介護。

申し訳ないけどそれが現実。

 

どうなっていくのかな。

家族に残された必要な時間。

有意義に使わねば。

 

 

7月22日(日)調子良さそう。

今日は午前中病院へ。

 

一週間ぶりです。

 

顔を見るまでは、心配だったけど・・

 

良かった~。テレビを見てる!

 

テレビを見る元気が出てきている。

 

寝ているだけでだから、

こんなんなら、家に帰りたい、とも言う。

 

(この猛暑、ここの方がいいんじゃない?と思うけど)

 

でも、父の言う通り調子は良くなってきていた。

 

小康状態(と言えるのか?)キープで少し安心。

 

治療は薬のみ。

ご飯は完食(減塩・柔らかい)

下痢は続いている。

意識ははっきり。会話になる。

振戦は落ち着いている。

 

そろそろ一度退院できるかもしれない。

 

7月30日の母の誕生日はお祝い出来そう。

よかった。