肝硬変・母の闘病記録

肝硬変末期の記録です。

ご報告

 

 

8月29日(水)午後  19時38分

 

家族3人に見守られ

静かに旅立ちました。

 

父、妹、私。

3人揃って、見送る事が出来て本当に良かった。

 

 

覚悟は出来ていたつもりですが、

ただただ寂しいです。

 

 

 

病院の正面出入り口から帰りたかったね。

無言の帰宅って、本当に辛いね。

 

 

今まで本当にお疲れ様。

 

もうしんどくないはず。

 

 

叔母さん、先代と二代目マルチーズ

うちのワンコによろしくね。

 

 

 

 

 

 

 

 

8月28日(火) もうひとつ・・の今日(ペットの話)

今日は私たち夫婦にとって悲しい記念日。

 

去年、我が家の最愛のワンコが旅立った。

 

我が家の2頭のダックスフンド

お兄ちゃんワンコと妹ワンコ(血はつながってません)

 

甘えん坊の妹ワンコ(13歳)が先に旅立ってしまった。

お兄ちゃんワンコは今も健在です。(16歳)

 

春ぐらいから調子を崩し、何度か病院に通うも、

はっきりとした原因がつかめず、

食欲にムラが出てきて、やせ細り、腹水がたまった。

腹水がたまった次の日の早朝、旅立った。

 

直前まで、夏バテかも・・とか、

今日はご飯を食べれたから大丈夫、とか、

まだまだ大丈夫じゃないか、と。

 

そんな甘い考えをしていた自分。

後悔の日々。

激しいペットロスに襲われた。

 

やっと一年。

 

今度は母が・・。

 

去年の光景がリンクする。

 

食べられなくなったら人(動物)は死ぬ。

そんな当たり前のことを去年経験した。

 

実際、亡くなる直前の看病は大変だった。

一緒に寝ていたベットで、失禁や下痢なども・・。

(元気な時は完璧だった)

夜中に起きて片付けた。

最後の方はリビングで添い寝した。

ワンコのしんどさに比べたら、大変ではなかったけれど・・。

 

最後の別れは実家にも立ち寄り、

一目見てもらった。

花に埋もれた最愛の娘。

 

母はいつも、思い出すと泣けてくるね・・、って悲しんでくれた。

私にとって子供であり、母にとっては孫である。

 

私「お母さん、

  今日は〇〇〇(うちのペットの名前)の命日なんだよ~。

  先代も二代目も(実家のワンコ)待ってるし、

  〇〇〇もばあちゃん来たら、

  ぎゃんぎゃん吠えて迎えてくれるよ。

  叔母さんにも会えるし、淋しくないよ」

 

  「でもね~、〇〇〇は、私がいくまでは待たせてね。

   一緒に虹の橋、渡ってかんよ」小声で釘をさす(笑)

 

 

 

最愛の娘(ダックス)の事があったから

看取りについて少しだけ覚悟が出来ているような・・。

 

楽観してはいけない。

これが最後になるかもしれない。

 

いつもその気持ちで病室に居る。

 

去年受けたダメージは意味のあるものだったと思う。

 

そして夜中(3時)お兄ちゃんワンコに夜鳴きで起こされ、

4時半頃からうつらうつらした時に、最愛の娘が夢に出てきた。

最近写真を見たり、話題にあげていたからだと思うけど、

久々に夢の中で抱っこした。

 

目が覚めた時、ベット脇にいない事を不思議に思うほど、

夢の中では自然だった。

 

この悲しみが癒える前に母も逝ってしまうんだね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

8月28日(火)激しい痙攣と熱

代休を取り、午後から病室へ。

部屋に行ったら、空のベットがあり、ちょっと引いた…。

まさか…??

 

近くを通った看護師さんが、

移動後の部屋を教えてくれた。安心する。

 

今日来ることは父にもはっきり伝えて無かったので、

連絡が無かっただけ。でも焦った。

 

2人部屋の南側。

明るい場所だと余計に衰弱が目立つ。

 

またやつれた・・?

 

いつも、小さな変化に心がチクッとする。

少し時間がたつと目の前の状態に慣れてくる。

 

やっぱり顔色は悪いよね・・。

 

今日も意識は無く、酸素のチューブや、栄養をつなげられていた。

 

f:id:yshufu:20180828194437j:plain

到着してすぐは、静かだった母が、

うめき声が漏れるようになる。

たまに咳き込んだり。

 

手を触ると温かい。

ホッとしたけど、ちょっと違和感も感じた。

微熱・・?

 

お隣の患者さんは意識もあり、看護師さんとも話が出来ていた。

(トイレの介助を頼んでいた)

 

こっちのカーテンではうめき声、時たま低い嗚咽も出る。

きっとお隣さん、気になるだろうな・・。

 

うめき声が10分ペースぐらいになってきたら、(徐々に短くなってきた)

今度は痙攣が始まった。

初めて見る容態にびっくりした。

 

本人はわかっていないと思いつつ、

 

「お母さん、大丈夫??」と身体を抑える。

「大変だね・・。苦しくない・・?」

 

もちろん、目は閉じたまま。

目ヤニも酷い。

ウエットティシュで丁寧にこすり取る。

 

ふーっ。

見ている自分が疲れてどうする・・。

 

途中、チェックにみえた看護師さんと話す。

やっぱり熱があり、この状態で座薬を入れると血圧が下がるので、

先生に相談してすすめます、との事。

 

血圧は100近く、酸素濃度も95前後とこちらは問題なし。

 

母のベットの隣で、

 

末期 熱 で検索。

 

やっぱり出たよ・・。

末期の症状で定番なんだね。

 

個人のブログだったので、リンクは遠慮しときます。

 

ざっくり、

亡くなる三日前ぐらいから熱が下がらない・・と。

アイスノンで冷やし続けたそう。

 

在宅看護の方のブログを二つ読む。

 

 

今度は違う看護師さんが来て、

 

看「痙攣もすごいですし、

  お熱の検査の為に採血する予定なんですが、

  血管が細すぎて先生にしか・・。今、先生待ちなんです」

 

これを聞いて、もう少し待とうと思い、

もう30分程病室にいたけど、

まだまだ先みたい・・。

 

昨夜、自分があまり寝られてないので、待たずに帰る事に。

 

きっと検査の結果は父に連絡が入るはずだし、

まだ、山では無いはず。

 

また来るね。お母さん。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

8月26日(日)もう話すことは出来ないね。

今日は妹と父が病院へ。

 

妹からラインがきた。

 

お母さん、痩せたね~

寝ているね・・。声をかけてみたけど、

起きないもんね・・。

まぶたの中の目が動く感じがしたから

話しかけてみたんだけど。   

 

私が水曜日に受けた衝撃と一緒だろうなぁ・・。

(今回は伝えてなかった)

 

ちょうどお父さんと会いました。

少し話せたからよかったわ。

いよいよ覚悟しているみたいよ。

 

お互い、後悔しないよう会いに行かないとね、で締める。

 

次の受け入れ先の病院へはいつ転院するのか気になる。

8月も最終週。

7月1日(日)に入院してもうすぐリミットだ。

 

 

少し前に見つけたサイト

 

末期に向けて書いてある。

がん情報サイト|PDQ®日本語版(患者様向け)

 

つらいけど、知らないでびくびくするより、イメージがわく。

まだ、血圧も尿量も安定しているから、危篤ではない(と思いたい)

 

亡くなった義母は肺気腫だった。(69歳)

入院した翌日に人工呼吸器を装着したので、

入院から亡くなる直前までの2か月あまり、会話は全く出来なかった。

(人工呼吸器を装着すると意識が無くなる?

会話が出来なくなりますが、大丈夫ですか?と、

装着前に主人が確認・同意させられていた。

ドラマのような一刻を争う確認だった)

二人とも30代でまだ若かったから、昼夜問わず病院へ。

 

最後は尿量が減り、心拍数が落ち、血圧も低下。

 

その時の様子を思い出す。

かれこれ15年ぐらい前の話なので、うろ覚えだったけど、

このサイトを見て思い出してきた。

 

後どれくらいかは予想は出来ないけど、

少しでも穏やかに逝けること事を願う。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

8月25日(土)昏睡のまま。

土曜日は午後2時から面会OKに。

その時間から病室入りする。

 

水曜に見た時と変わりなく見えるけど、

きっとさらに小さくなったんだろうな・・。

 

今日も眠り続けている。

小さい声で、来たよ、と。

 

ベット脇の椅子に座り、様子を伺う。

 

隣のベットの患者さんも

きっと母と同じような状態なんだろうなぁ・・。

その方の静かな寝息だけが聞こえてくる。

 

4人部屋から2人部屋へ移り、

今月末には入院して2か月過ぎるので、

別の病院に転院しないといけない。

こんな状態で転院、出来るのかな・・。

 

あのままタッチの差で退院して在宅になっていたら、

また違った展開になっていただろうなぁ・・

 

日々の介護に加え、

急激な容態の変化など、

父と二人で焦っていたと思う。

 

徐々に身体機能が衰えていっている、というのが今の現状。

 

静かに眠る母の横でスマホを見ながら、一緒の時を過ごす。

 

途中、看護師さんが部屋へ。

何度かお会いしてる担当の若い看護師さんだ。(職歴2年くらい?)

 

看「様子、チェックさせてもらいますね」

 

血圧・酸素量・尿量など、変化はないそう。

よかった・・。

 

私「こんな状態の時は声かけしてもいいのか・・どうですか?」

看「○○さ~ん・・

  そうですね。良く眠ってるみたいですね。

  様子を見た方がいいかもしれませんね。

   手を握ったり、近くにいるだけでも伝わると思いますよ。」

 

看「先週、髪を洗った時には、最高って。

  可愛い笑顔で言ってくれたんですよ。

  その後、この状態に・・。」

私「ありがとうございました。

  喜んでた、って父からも聞いてます。」

 

看「夕方までの勤務なので、また確認しにきますね。」

 

若い看護師さんが本当に気にかけて下さってるのが伝わり、感謝。

同時に看護師さんから見ても急激な変化ってことなんだろうな、と思う。

 

今日は長めに病室に居て、身体にも触れ、話しかけたりもした。

反応はあんまり感じられないけど・・

 

でも、同じ時間が過ごせた事に意義がある。

 

 

 

 

 

 

8月22日(水)やせ細った身体。

今週は水曜日の夜にも一度立ち寄った。

 

先週の日曜日は、振戦で顔は動きつつ、

意識は無いかと思われたけど、

帰り際、「・・あ・・り・・がとぅ・・」って言ってくれた。

 

妹と二人で喜んで帰った。

 

火曜日の夜、部屋が変わったと、父から連絡が入る。

髪を洗ってもらって喜んでいた、との事。

 

父「最高って」

 

反応があるんだ!と嬉しくなり、

水曜日、おそがけに病院へ。

 

その時の姿は衝撃的だった・・。

 

先週よりもまた小さくなって、こんこんと眠っている。

布団もかかっていなかったから、やせ細った足に目が行く。

液体の栄養を鼻から入れられていて、

(母にとっては夕飯タイム)

ベットも少し上げられていた。(リクライニング)

 

声をかけてもよいのかと惑った。

身体に触ってもいいのか迷った。

 

顔のぴくぴくした動きはなかったものの、

途中足は良く動く。

だから布団がかけられてないんだよね・・。

 

本当に洗髪した時に反応あったのかな?

 

そろそろ帰るね・・と小声でつぶやいたあと、

母がむせ始めた。

今思うと、これが反応だったのかな・・。

 

 

 

 

 

 

8月19日(日)反応あり・妹と喜ぶ。

湿度が少なく気持ちの良い日曜日。

お昼頃病室へ。

 

母は鼻からチューブを入れられて

直接胃に栄養(ご飯?)を。

酸素の管もついていた。

 

今日も目は開いているものの、じっとしていないので、

わかっているのかいないのか微妙でした。

 

手は冷たいけど、足は温かい。よかった。

 

途中看護師さんがみえたので、カーテンの外に席を外す。

 

看「オムツ替えますね~」

母「・・うー・・」確かこんな感じ

 

看「あら、答えてくれたね~」

 

私「・・反応ありましたね・・!」

 

はっきり大声で話せば、反応があるみたい。

 

途中、妹が来てからは、他愛もない話をしつつ、

甥っ子の彼女の話や、今日は少し涼しいなどと呼びかける。

 

たまに、かすかな反応有り。

 

そろそろ帰るね・・!

また来るね、と言ったら

 

母「・・あ・・り・がとぅ・・」

 

確かに聞こえたね。

妹と二人で喜ぶ。

 

妹のお姑さんも(同居)

耳は聞こえていると思うから、なるべく会いに行ってあげなさい、との事。

 

反応があるとやっぱり嬉しい。

 

 

もうすぐ、マンマ・ミーア!の続編が上映される。

 

母と観に行った。懐かしい。

楽しくて映像がきれいな映画は気晴らしにちょうど良い。

 

 

CMを見るたびに元気だった頃を思い出す。

 

 

落ち着いたら

新作も是非観たいと思う。