肝硬変・母の闘病記録

肝硬変末期の記録です。

8月26日(日)もう話すことは出来ないね。

今日は妹と父が病院へ。

 

妹からラインがきた。

 

お母さん、痩せたね~

寝ているね・・。声をかけてみたけど、

起きないもんね・・。

まぶたの中の目が動く感じがしたから

話しかけてみたんだけど。   

 

私が水曜日に受けた衝撃と一緒だろうなぁ・・。

(今回は伝えてなかった)

 

ちょうどお父さんと会いました。

少し話せたからよかったわ。

いよいよ覚悟しているみたいよ。

 

お互い、後悔しないよう会いに行かないとね、で締める。

 

次の受け入れ先の病院へはいつ転院するのか気になる。

8月も最終週。

7月1日(日)に入院してもうすぐリミットだ。

 

 

少し前に見つけたサイト

 

末期に向けて書いてある。

がん情報サイト|PDQ®日本語版(患者様向け)

 

つらいけど、知らないでびくびくするより、イメージがわく。

まだ、血圧も尿量も安定しているから、危篤ではない(と思いたい)

 

亡くなった義母は肺気腫だった。(69歳)

入院した翌日に人工呼吸器を装着したので、

入院から亡くなる直前までの2か月あまり、会話は全く出来なかった。

(人工呼吸器を装着すると意識が無くなる?

会話が出来なくなりますが、大丈夫ですか?と、

装着前に主人が確認・同意させられていた。

ドラマのような一刻を争う確認だった)

二人とも30代でまだ若かったから、昼夜問わず病院へ。

 

最後は尿量が減り、心拍数が落ち、血圧も低下。

 

その時の様子を思い出す。

かれこれ15年ぐらい前の話なので、うろ覚えだったけど、

このサイトを見て思い出してきた。

 

後どれくらいかは予想は出来ないけど、

少しでも穏やかに逝けること事を願う。