肝硬変・母の闘病記録

肝硬変末期の記録です。

*8月29日(水)危篤 最後の日

無事 告別式も終わりました。

少しづつ、記録を残していきたいと思います。

(*印は思い出しながらの記録です)

 

28日(火)

午後からゆっくりついていた日

発熱、痙攣・・

 

あと2,3日でヤマになるかも・・

9月に入ってから・・?とか。

 

29日(水)

先週ぐらいから、いつ抜けてもよいように仕事の段取りを意識していた。

今週は本当に切実だ、と思いつつ・・。

月末ゆえ、締めの伝票をなるべく片付ける。

 

3時半ごろ 父からメッセージ。

「今日来れたら来てください。今晩くらいがヤマだそうです」

 

ドキッっとした。

 

 血圧はどれくらいか、聞いてみた。

「100ぐらい。少し落ち着いた。今日は大丈夫。来なくていいよ」

 

まだ大丈夫かも・・。

明日から病院に詰められるように今日なんとか片付けて出よう・・。

 

 

事務所に一人になり、きりの良いところまで片付けようと気合を入れていた。

出来るだけ片付けて、病院に行こう。

明日は半休を取って付き添おう・・。

 

5時半頃、電話が鳴った。

 

  着信 〇〇病院

 

ドキッ・・

 

看「長女さん? お母さんの血圧が不安定になってきています。

 病院まで来れますか?」

 

とうとうきた・・。

 

慌てて、やりかけていた仕事を片付けるも、(しまうだけなのに)

焦りが出てきて、どうでもいい事に時間を取られる。

 

一度自宅に戻り、ワンコのお世話。(ご飯とトイレのみ)

長丁場になると思うから、制服のままより、着替えた方がいい。

焦りつつ、運転に注意する。

昨日一緒に居たから間に合わなくても許してくれるよ。きっと。

 

合間に父と妹・主人にも連絡を入れる。

到着した時には父が付き添っていた。

 

血圧は50以下。

心拍数は100前後。

呼吸は不規則になっていた。

苦しそうに口を開けて・・

酸素マスクもつけている。

 

私「お母さん、来たよ!」

 

しばらくして妹も到着した。(確か7時過ぎ)

 

妹はすでに半泣きだった。

 

3人揃って、見守りながら他愛のない話をしていた。

この調子なら、一晩付き添うことになるだろう。

そのつもりでゆっくり過ごすつもりだった。

 

・・突然心拍数が上がった。

 

187~  158~   100~   159~(確かこんな数字がランダムに)

 

3人で驚く。

 

心拍数の乱れが激しくなったあと、

今度はどんどん落ちていった。

 

80・・70・・50・・

「お母さん・・! もう逝くの? もう少しだけ居てよ。

あと10分くらい、居て・・」

 

ずっとしんどい思いをしてきた母に頑張れとは言えない。

 

30・・ピーーー。

 

 

あ・・逝っちゃった・・。

「お母さん・・・」泣き

 

7時38分だったと思う。

 

3人揃ってから、30分ぐらいで静かに旅立った。

なんて良いタイミングなんだろう。

最後まで母らしい、と思った。

 

 

 

本当に今までありがとう。

生んでくれてありがとう。

 

お疲れさま・・。

 

 

 この後、

看護師さん達にきれいにして頂いて、

白い布をかけられた母を見た時、

思いっきりこみあげてきた。

 

 

「お母さん!!!」

 

 

妹と二人で号泣した。